お酒に関する雑学

2017年4月27日

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今回は特に、テーマを決めずに

一応毎回テーマを決めて記事を一本書いてるのですが(ちょいちょい脱線もしますけど)、今回に関してはお酒に関する雑学、ということで、一本の記事にまとまらないような小ネタをつらつらと書いていこうかと思います。

へぇ~、なんつって読んでもらうも良し、居酒屋で雑学としてひけらかしてもらうも良し(笑)まぁ、他の記事よりも軽めの雑学として読んでもらえると嬉しいです。

そもそも居酒屋とは

居酒屋とは、言葉の意味としては店内にテーブルや座敷を置き、酒や食べ物を出す店、特に安価に酒を出す店のことを言います。

現在では居酒屋のチェーン店から和風居酒屋だの創作居酒屋だの洋風居酒屋だの、ビストロ風とかバル風居酒屋だのその種類はやたらと多岐にわたります。

そんな居酒屋ですが、その根本は江戸時代にまでさかのぼります。

そもそもは江戸の町や漁港にあった小売りの酒屋がルーツ。
当時の江戸庶民のお酒の飲み方は、お酒がほしい人がそれぞれに自分の容器を持って酒屋に行き、樽からお酒を枡で測って売ってもらう。

で、家に帰って一杯やって、は~、この一杯のために生きてるな・・・というのがもともとのスタイルなんですね。
いや、セリフはそれぞれ違うと思いますけど(笑)

当時の江戸は一人暮らしの職人、労働者、浪人が多く、漁港には出稼ぎの単身者が多かった・・・となると、お酒を入れた容器をわざわざ家に持って帰って一人酒なんてーのはいかにもわびしい。

であれば酒屋の店先で飲んじゃった方が、楽ちんだし、皆いて楽しいし、となるのは容易に想像できますな。今みたいに家帰ってからテレビ見たりネットできるわけじゃないし・・・(笑)

店頭でお酒を飲むことを「居酒」と呼び、このような習慣が広がればそんな商機を江戸の商人が見逃すはずはありません。
「居酒致し候」といった張り紙で居酒可能であることをアピールし、簡単なつまみなんかも出すようになっていきました。

この「居酒」ができるお店がつまり、「居酒屋」の始まり、というわけなんです。

独り暮らしの男がたくさんいたから居酒屋という形態ができたわけか・・・なんというかこう、モテない男どもが帰っても独りでわびしいから集まって飲んで騒いで、ベロベロになって帰って寝て、また翌日仕事に行っていたんだなぁと思うと・・・あれ、おかしいな、涙が止まらないよ・・・?

コップの下に器を置いて注ぎこぼす・・・のは、お行儀が悪い?

居酒屋で日本酒を頼んだ時。コップをお皿の上に置いたり、升の中に置いたりして、ビンからどくどくお酒を注ぐ。

コップからお酒が溢れ、お皿や升の中に溜まっていき、それを見ていた酔っ払いが店員さんに、お兄ちゃんもうちょっと注いでよ~!なんて絡みつつ、おっとっととか言いながらコップを口で迎えに行く・・・

そんな光景を見たことはないでしょうか。

結論から言ってしまえば、アレはお行儀としては非常に悪いです(笑)

アレを見て、そうか、あれが日本酒の正式な飲み方か、なんつって日本酒をお酌するときに毎回毎回こぼれんばかりに注ぎまくると怒られる場合もありますので、ご注意を!

つまりですね、どういうお店でアレをやっているか、ということなんです。

高級な寿司屋とか、懐石料理何かを出す高級料亭でアレをやっているかというと・・・やっていない。

やっているのはやっぱり居酒屋でして、大体が高級な和食料理屋というのは日本酒はお猪口とかの小さい器で飲むものなんです。
コップ酒が出てくる時点で、まぁそこまで高級とは言い難いお店なのは間違いない(笑)

居酒屋のところでも書きましたが、大本は器に対してお酒を量り売りしていたのが始まりなわけです。

じゃ、コップが一つあったとして、コップに対して8分目まで入っていても一杯。
なみなみ、目いっぱい入ってても一杯。
そこからこぼれて、下のお皿や升まで入ってても一杯とした時に、じゃぁアナタはどれがうれしいですか?・・・

と。いうことなんですよ。

要するに注ぎこぼしは庶民の味方・大衆居酒屋で、お客さんに対するサービス、オマケみたいなもの。
ウチのコップ酒は一杯に対して、溢れんばかりどころか溢れるまで注いでますよ~!というアピールだった、というわけですな。

店側のアピールなわけですから、当然アナタが誰かにお酌をする際には、注ぎこぼす必要はない、というわけ。

お猪口の8分目くらいまで注ぐようにして、こぼさないように日本酒を楽しみましょうね!

ちなみに最近では、誰かが触ったコップを伝ってこぼれた酒を飲むなんて不衛生、という理由で、この注ぎ方に抵抗を感じる方もいるそうです。

管理人なら、衛生よりもお酒の量を取るが、なぁ・・・(笑)

「地酒」=「下らない」お酒!?

地酒ブームなんて言葉もありますが、現在この言葉に対してネガティブなイメージを持つ人はまずいないと思います。

全国各地で造られる、その地方の気候やお米にあった独特のおいしいお酒・・・みたいな。

が、この「地酒」のもともとの意味は「マイナーな酒」、あるいは「田舎の酒」といった意味合いの、どちらかというと見下したような言葉だったんですね。

江戸時代における「メジャーな酒」、「本場の酒」とは、兵庫の灘、京都の伏見の二大銘醸地で造られたお酒。
ここは灘の「宮水」、伏見の「七ツ井」の水といった、お酒造りに非常に適した水が湧き出る地でした。

つまり、当時の「メジャーな酒」、「本場の酒」とは、兵庫や京都といった「上方」からわざわざ江戸まで輸送される酒であり、「上方」から「下ってくる」ことから「下り酒」と呼ばれるお酒のことだった、というわけ。

それ以外のお酒は、上方から下ってこない、「下らない」酒、イコール「地酒」と呼ばれ、価値が薄かったんですね。

ちなみに、今でも価値がないもの、つまらないものを「下らない」と言いますが、これはこの下り酒ではない「下らない」酒、が語源になっていると言われています。

おぉ、なんかトリビアっぽいですね~~!

ビール大ビン1本の容量(633ml)の中途半端さのワケ

居酒屋で最初の一杯というと大体ビールなわけですが、お店によっちゃ生中とかが無くてビンビールしかないところもありますよね。

じゃぁもう、何回も頼むのもめんどくさいから大ビンで持ってきて!なんて話になるわけですが、このビール大ビン1本の容量ってご存知ですか?

それは1本633ml。それくらい知ってるって?
では、1本がそんな中途半端な量である理由はご存知でしょうか?ご存知であれば別にアレなんですけども(笑)

それは明治の頃から導入されている「酒税」が原因です。

酒税導入から何度か改定が加えられる中で、1940年にビールにかかる税金は出荷量に応じて課税される「ビール税」に統一されることになりました。

当時ビールは大ビンと小ビンで出荷されていましたが、その容量はメーカーによって微妙なばらつきがあったんですね。
徴税官としてはばらつきによって不公平があってはいかんということで、各メーカーのビンの容量を量ってみました。

その結果、最大の大ビンは643.992ml、最小の大ビンは633.168mlでした。
で、量ったのが徴税官ですから、約10mlしか違わなくても一番少ないビンを基準にした方がたくさん税金が取れる、と考えたんですね。

こうしてビール大ビンの容量が、633mlに決まった、というわけ。なんだかいろいろとイイカゲンな話だなぁ(笑)

ちなみに小ビンの容量は334ml。
この中途半端さも、大ビンと同じような経緯で容量が決まったからです。

もっと言うと、中ビンは500ml。

・・・うーん、ここまで来るとキリが良すぎて逆に違和感が(笑)
1940年当時は大ビンと小ビンしか無かったと書きましたが、つまり中ビンは新参者。

結果、500mlというキリのいい数字にできた、というわけ。

なんというかこう、イイカゲンなのか細かいのかよく分からん、とっても日本ぽいエピソードというか・・・
大ビン700ml、中ビン500ml、小ビン300mlとかじゃダメだったのかしら?まぁ、もう、いまさらなんだろうな・・・(笑)

まとめ

・居酒屋の最初は、酒屋の店頭で「居酒」ができるようになったのが最初
・日本酒を注ぎこぼすのは、居酒屋からのオマケで、あんまりお行儀はよくない(笑)
・「地酒」はもともと「下らない」お酒のこと
・ビール大ビン633ml、中途半端な数字なのは昔の徴税官のヘンな生真面目さのせい

いかがでしょうか、お酒に関するトリビア!またネタがたまったら書きますので、よろしくお願いします~(^O^)/

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