のんきな酒飲み?哀愁を背負った知識人?酒を讃むる歌(大伴旅人)
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お酒大好き大伴旅人
大伴旅人は、万葉集の編者でもある大伴家持の父親。
大伴旅人の歌は万葉集内に78首選出されています。
中でも有名なのが、酒を讃むる(ほむる)歌と呼ばれる13首。
ま、まずはとにかくその13首をご紹介しましょう。
《1》
験(しるし)なき 物を思はずは 一杯(ひとつき)の濁れる酒を 飲むべくあるらし
→訳「くだらない 物思いをしているくらいなら 一杯の 濁り酒を 飲むべきだろう」
《2》
酒の名を 聖(ひじり)と負(おほ)せし 古の 大き聖の 言(こと)の宜しき
→訳「酒の名を 聖と名づけた 古の 大聖人の なんと言葉の見事さよ」
《3》
古の 七の賢しき 人たちも 欲(ほ)りせしものは 酒にしあるらし
→訳「古の 竹林の七賢人も 欲したものは 酒であったらしい」
《4》
賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔(え)ひ泣きするし 優(まさ)りたるらし
→訳「偉そうに 物を言うよりは 酒を飲んで 酔い泣きする方が ましであるようだ」
《5》
言はむすべ せむすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にしあるらし
→訳「言いようも しようもないほど いみじくも貴いものは 酒であるようだ」
《6》
なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒に染みなむ
→訳「なまじっか 人間でいるよりは 酒壺に なってしまいたい そして酒にどっぷり浸るのだ」
《7》
あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似る
→訳「ああみっともない 偉そうにして 酒を飲まない 人をよく見たら 猿に似ているぞ」
《8》
価(あたひ)なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも
→訳「無価(むげ)という 貴い宝珠も 一杯の 濁った酒に なんで及ぼうものか」
《9》
夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣るに あに及かめやも
→訳「夜光の 玉といっていても 酒を飲んで 憂さを晴らすのに なんでまさろうものか」
《10》
世間(よのなか)の 遊びの道の かなへるは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
→訳「世の中の 遊びの道に 当てはまるのは 酔い泣きをする ことであるという」
《11》
この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫にも鳥にも 我はなりなむ
→訳「この世で酒さえ飲んで 楽しかったのなら あの世では 虫にでも鳥にでも 私はなってしまおうではないか」
《12》
生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は楽しくをあらな
→訳「生ある者は いずれ死ぬと決まっているのだから この世にいる間は 酒飲んで楽しくやろう」
《13》
黙居(もだを)りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣きするに なほ及かずけり
→訳「むっつりとして 偉そうにしているのは 酒を飲んで 酔い泣きすることに やはり及ばないわ」
・・・かなりこう、お酒を讃えまくっておりますな(笑)
お酒自体だけではなく、お酒を飲むことがいかに素晴らしいことか、いかに人生を豊かにしてくれるか、酒無しの人生なんて考えられない!という歌にも読めますね。うーむ、共感しかないな(笑)
この大伴旅人という人、相当な知識人でもありました。
例えば《2》の歌は、中国でその昔清酒を「聖人」、濁り酒を「賢人」と呼んだ、という故事にちなみます。
禁酒令のさなか、ひそかに酒を飲んでいた人が「いや、私は賢人とともにおりまして」と言って罪を赦されたという話もあるそうです。
また、《6》の歌はハンパに人間でいるくらいならいっそ酒壺になりたいという歌ですが、これも中国の故事にちなむと言われています。
陳郡の人、鄭泉は酒を好み、願わくば三十石の船に酒を満たし、その中で過ごしながら酒を飲みつつ、減るたびに足す生活をしたい、と言ったとか。
この鄭泉も相当のもんだな(笑)
とはいえ、歌だけ見るとかなりの飲み助というか、ただの酒好きにしか見えませんよね。
実際これらの歌から、日本人の現世享楽的な思想がよく出ているという評価もあるようです。
大伴旅人が相当な知識人で、中国の故事についての教養が歌に盛り込まれていると言われても、まぁ、レベルの高いサラリーマン川柳にしか見えないというか・・・
川柳ではないですけど。そこじゃないか(笑)
ところが、大伴旅人の半生を知ると、
この酒を讃むる歌もずいぶん見え方が変わってきます。
少なくとも管理人はそうでした。
今回は、この大伴旅人の半生を簡単にではありますがご紹介しましょう。
大伴旅人の時代
大伴旅人は古来軍事警備を持って天皇に仕える家柄のものとして天智天皇の4年(665年)に生まれています。
その後の経歴として主なものを並べると、和銅7年(714年)に左将軍、養老2年(718年)に中納言、中務卿如、元養老4年(720年)に征隼人持節大将軍に任命、天平2年(730年)に大納言任命、天平3年(731年) に従二位となり、この年に亡くなったとされています。
この経歴は大伴氏の家柄としては大体まっとうな経歴で、その点だけで言えばそれほど不満があるとは思えない。
ただし、この時代は徐々に武人とか将軍といった家柄の人間は落ち目になってきている時代でした。
経歴はまっとうでも様々な思惑がうずまく、時代が変わる瞬間だったのかもしれません。
また、大伴旅人は天皇を崇拝する気持ちが強かったようです。
大伴旅人の妾の息子である大伴家持の歌には天皇と大伴家の密接な関係が歴史の伝統だぞ!という強烈な自負が露骨に出ており、つまり旅人、家持を含む大伴氏の感覚として、天皇崇拝の気持ちが強かった、と思われます。
酒を讃むる歌が生まれた背景
大伴旅人は和銅8年(715年) に中務卿になります。
この在任中に元明女帝から元正女帝への譲位があり、中務卿はそのような際の詔を取り扱う責任者。
つまりこの頃、天皇大好きな大伴旅人は中務卿の地位にいることが得意だったろうと考えられます。
酒を讃むる歌はこのころに生まれた・・・のでは全然なく(笑)この後大宰府の長官となり、九州に行ってから生まれたものです。
実際大宰府の長官というのはかなり立派な地位なのですが、天皇を崇拝していた大伴旅人からすると、九州に行くのは左遷されたような心持になったと考えられます。
さらに大伴旅人が大宰府の長官になった背景には、当時勢力を伸ばしていた藤原氏と対立していた長屋王が関係していると考えられるんですね。
これはつまり、長屋王(酒宴好きだったらしい)と仲のいい大伴旅人(もちろん酒好き)を大宰府の長官とし、大伴旅人を九州に飛ばして長屋王と引き離しておこうという藤原氏の陰謀があったということ。
そういった背景があることを考えると、素直に大宰府の長官になったことを喜べないのもわかりますね・・・
その後藤原氏の暗躍により長屋王は追い詰められて自害。ますます勢力を伸ばしていく藤原氏は、ついに天皇までもをないがしろにし始めます。
代々天皇に仕え、長屋王とも仲の良かった大伴旅人は、どのような気持ちで成り上がり者の藤原氏の朝廷内での専横を見ていたのでしょうか。
酒を讃むる歌は大伴旅人が大宰府に送られたとき、このような政治的な状況の中で生まれました。
最終的に大伴旅人は大納言となって京に戻りますが、その後8ヶ月で亡くなっています。
政治的状況を踏まえて歌を見ると・・・
代々天皇に仕える家柄で、知性が高いことを誇りにしていたと思われる大伴旅人からすると、政治的陰謀に明け暮れているような藤原氏の連中などはこざかしく卑しい連中に見えたことでしょう。
例えば、
賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし 優りたるらし
黙居りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣きするに なほ及かずけり
この2つの歌は、賢人ぶって偉そうなことを言うとか、気取った振りをして黙っているよりはお酒を飲んで笑ったり泣いたりしている方がはるかに上等だ、という歌ですが、こういった背景を知るとまた感じ方が変わるのではないでしょうか。
また、
あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似る
この歌は酒に酔ったものをバカにするやつこそ人間じゃない、サルのようなものだという歌ですが、政治的に小利口な輩に対してよほど懲りたことからの歌、とも読めます。
つまり、大伴旅人の半生を知ってから管理人が酒を讃むる歌から感じるのは・・・「哀愁」。
現代で例えるならば、長年勤めている会社に突然外部から役員がやってきて、自分は地方に飛ばされ、本社ではその役員が好き勝手をし、
かつて仲の良かった同僚をクビにしたり、世話になった社長までもがないがしろにされる様を指をくわえて見ていることしかできず、
ちくしょう、飲まなきゃやってられねぇや・・・
という時に詠まれた歌、という感じでしょうか。
また、当時はお酒と言えば上流階級のもので、お酒の席と言えば政治的な謀議をする場、というのが定番でした。
そんな中でのこれらの歌ですから、酒を飲んで政治的な話なんぞするもんじゃないよ、酒を飲んだらただ笑ったり泣いたりしてればいいんだよ、というお酒に対する深い愛情も感じます。
ただ自分の境遇を嘆いているだけの歌、うまくいっている連中に嫉妬して皮肉っているだけの歌、でもないわけですね。・・・うーん、深い。
ノーテンキな酒好きが、お酒ってサイコー!これが分かんないヤツは、バカだね!!
みたいなことを言ってるようにも見える歌ですが、背景を知るとまた味わいが変わりません?
自分の無力さ、それに対する歯がゆさ、何かしたいが、何もできずに今日も酒を、せめて大好きな酒を飲む・・・なんとなく、同じような境遇で身につまされる、という方もいるのでは?
それでは酒を讃むる歌をもう一度・・・
《1》
験なき 物を思はずは 一杯の濁れる酒を 飲むべくあるらし
「くだらない 物思いをしているくらいなら 一杯の 濁り酒を 飲むべきだろう」
《2》
酒の名を 聖と負せし 古の 大き聖の 言の宜しき
「酒の名を 聖と名づけた 古の 大聖人の なんと言葉の見事さよ」
《3》
古の 七の賢しき 人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし
「古の 竹林の七賢人も 欲したものは 酒であったらしい」
《4》
賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし 優りたるらし
「偉そうに 物を言うよりは 酒を飲んで 酔い泣きする方が ましであるようだ」
《5》
言はむすべ せむすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にしあるらし
「言いようも しようもないほど いみじくも貴いものは 酒であるようだ」
《6》
なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒に染みなむ
「なまじっか 人間でいるよりは 酒壺に なってしまいたい そして酒にどっぷり浸るのだ」
《7》
あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似る
「ああみっともない 偉そうにして 酒を飲まない 人をよく見たら 猿に似ているぞ」
《8》
価なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも
「無価という 貴い宝珠も 一杯の 濁り酒に なんで及ぼうものか」
《9》
夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣るに あに及かめやも
「夜光の 玉といっていても 酒を飲んで 憂さを晴らすのに なんでまさろうものか」
《10》
世間の 遊びの道の かなへるは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
「世の中の 遊びの道に 当てはまるのは 酔い泣きをする ことであるという」
《11》
この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫にも鳥にも 我はなりなむ
「この世で酒さえ飲んで 楽しかったのなら あの世では 虫にでも鳥にでも 私はなってしまおうではないか」
《12》
生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は楽しくをあらな
「生ある者は いずれ死ぬと決まっているのだから この世にいる間は 酒飲んで楽しくやろう」
《13》
黙居りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣きするに なほ及かずけり
「むっつりとして 偉そうにしているのは 酒を飲んで 酔い泣きすることに やはり及ばないわ」
・・・いかがでしょうか。大伴旅人の半生を知ると、哀愁が加わってサラリーマン川柳とは違うということが・・・
いや、哀愁が加わるとよりサラリーマン川柳に近づくかな(笑)
アレも結構、笑えるけどどこか哀愁が漂う川柳が大賞とったりしますからねぇ。
奈良時代でも現代でも、働く人々の奥底には哀愁が漂うってことでしょうか。
企業戦士の皆さん、今日もお疲れ様です!!
今夜は大伴旅人の半生に思いを馳せながら、酒を讃むる歌を肴に、仕事終わりの一杯をかたむけてみてはいかがでしょう?
まとめ
・大伴旅人の歌の中でも特に有名なのは、「酒を讃むる歌」13首
・お酒サイコー!ごちゃごちゃ言ってねーで酒を飲め!という歌にも見えます
・大伴旅人が生きた時代は、なかなかややこしい時代でした
・そう考えるとこの13首は、哀愁漂う歌、にも見えませんか?
ちなみに管理人は、大伴旅人がただお酒サイコー!のつもりで詠んだものだとしても、何もできない自分への鬱屈した思いから詠んだものだとしても、どっちだとしても酒を讃むる歌大好きです(笑)
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