日本最古のアルハラ!?織田信長と明智光秀

2017年4月18日

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アルハラでとんでもない目に

特定非営利活動法人アルコール薬物問題全国市民協会(ASK)が定めるアルハラ行為には5つあります。
1.飲酒の強要
2.イッキ飲ませ
3.意図的な酔いつぶし
4.飲めない人への配慮を欠くこと
5.酔った上での迷惑行為
これらによって相手に損害を与えたことで、
刑事罰や損害賠償請求を科せられるケースも出ているんですね。

ま、規則やら法律でどうこう言われる以前に、
お酒は一緒に飲んでる皆が楽しくなるのが基本ですからねぇ。

そこを破ると現代では法律によって大変なことになるわけです。

アルハラという言葉が無かったり、それを取り締まる法律がない時代に、アルハラ行為でえらい目にあった人がいます。

それが織田信長。

あの本能寺の変はアルハラが原因・・・とは言わないまでも、一因ではあるんじゃないかなぁ。
そう思わせるぐらい、ヒドイことをしてます、信長(笑)

今回は、織田信長から明智光秀に対して行われたアルハラと、アルハラと本能寺の変の関係についての管理人の妄想(笑)を書いていこうと思います。

アナタの普段の言動、アルハラになってませんか?
あんまりやり過ぎると本能寺の変起こされますよ!

記事のタイトルには日本最古のアルハラと書きましたが、まぁ、最古ではないでしょうね。
タチの悪い酔っ払いは各時代にいたでしょうから・・・

でも、アルハラが原因でトップクラスにえらい目にあったのが信長なのは間違いないのでは(笑)

信長は下戸?

織田信長は下戸、つまりお酒が飲めなかったのではないか・・・という説があるようです。そうなるとこの記事の根本が崩れてしまうのですが(笑)

宣教師のルイス・フロイスが残した文書の中に、
「酒は飲まない」という記述があり、また宣教師が持ってきた金平糖を好んだりバナナを日本で最初に食べたのが信長と言われる、といった甘党エピソードから下戸だったのではないか、と言われているんだとか。

とはいえ、酒を飲んだというエピソードが全くないわけでもなく、
ルイス・フロイスの前では飲まなかったのではないか、という説もある。

まぁ正直織田信長が下戸だったらちょっとショックだし、でも逆に下戸だったらいやだなぁ、と思う人も多いだろうから、信長がお酒飲めた、というエピソードは捏造されやすいんじゃないかという気もするし・・・

管理人個人としては、織田信長の型破りっぷりを考えると、お酒飲みながら甘いものバクバク食ってたんじゃないか、とも思うんですが、どうでしょう。

うつけと呼ばれていたのは、甘いもんと一緒に酒を飲むもんだから、あいつは酒の味も分からんうつけだ、と言われていたというのも理由の一つ・・・とか。

まぁ、この辺は完全に管理人の想像ですが(笑)

とりあえず、この記事内では織田信長酒豪説をとっていきたいと思います。
管理人の、信長は酒強く会ってほしい!という願望半分ですけどね(笑)

信長から光秀へのアルハラ

織田信長はもともと信仰心がほぼないと言われている人ですが、庚申待(こうしんまち)の夜は旧来の伝承にしたがって徹夜で酒盛りをする、ということは行っていたようです。

この庚申待とは中国の道教から来ている習慣です。

人の体には虫(三尸の虫)が住んでいて、
その虫が庚申の夜人が眠っている間に天に昇って人の悪事を天帝(別名:閻魔大王)にチクるから、庚申の夜は虫が天にのぼれないよう夜通し酒盛りなんかをして過ごそう、というもの。道教、なかなかいいこと言うな(笑)

この庚申の夜に寝てしまうと幸せになれないとか生命にさわる、といったことが言われていたようです。
まぁ、悪事をしない人間はいませんからねぇ、天帝に悪事をチクられたらそら生命も縮められますわ・・・(笑)

この辺りの庚申待の宗教的な意味を信長が信じていたかどうか・・・と考えると、まぁ恐らく信じてはいなかったでしょう。
ただ、その習慣を利用して、近侍の家来たちと酒を飲み、大いにはしゃいでいた、ということはあり得る。いい上司だなぁ!!

ある庚申待の夜、織田信長と家臣たちが集まって酒を飲んでいましたが、明智光秀が席を外してしばらく戻ってこなかったそうです。

光秀はそんなに酒に強くなく、実は単に酔いをさますために夜風に当たっていただけだったようなのですが、これに信長が激怒。

戻ってきたときに頭に槍を突きつけたっつーんだから恐ろしい話です。

「なぜここから逃げたのだ!」
「とんでもない、逃げたのではなく酔いをさましに出ただけです」
「なんだと、せっかく酔ったのにそれをさますとは何事だ!」
なんつーやり取りがあったらしい。なんて理不尽なんだ(笑)

また別の時には、七杯入りの大盃を突きつけて、光秀に飲め飲めと強要したりしたこともあったとか。

あんまりお酒の強くない光秀は、到底いただけませんと辞退しましたが、それに腹を立てた信長は脇差を抜いて「この刃を飲むか、酒を飲むかどっちか選べ」と言ったというんだから、まーアルハラもアルハラ、大アルハラですな。
現代で裁判になったら間違いなく信長が負ける(笑)

この辺のエピソードが載っている文献というのは、あんまり信ぴょう性が高くないものも含まれるようで。

これらのエピソードが本当にあったかどうかを疑問視する声も多いのですが、信長の性格と、光秀の融通のきかなさ、みたいなことを考えるとこれに近いことはあったんじゃないかなぁ?

こういったアルハラエピソードが事実だとしても、まぁアルハラが原因で本能寺の変が起きた、ってことはないでしょう。

本能寺の変って歴史を変えるような出来事なわけで、そんな事件を光秀のような男がアルハラきっかけで起こすということはない・・・とは思いますけれども、アルハラも遠因の一つじゃないか・・・と、管理人は思います、素人的にですが。

その理由は、次の章で。

本能寺の変とアルハラの関係(管理人の妄想)

とりあえず、本能寺の変の概要を。

Wikipediaより抜粋
本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こして京都本能寺に宿泊していた主君織田信長を襲撃した事件である。
信長は寝込みを襲われ包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり自害した。2人の非業の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる。
抜粋ここまで。

この際の兵力は、織田信長勢が20~30とも、150~160ともいわれています。

さらに織田信忠の方は500前後で、周囲の兵力が合流しても1,500程度だったようです。

それに対して明智光秀の手勢は13,000。
織田勢の兵力をどれだけ多く見積もっても、とんでもない兵力差。

本能寺の包囲に向かったのが3,000、妙覚寺に攻め寄せたのが10,000と言われます。

織田信長が攻めてきたのが明智光秀の手勢と知った際、「是非に及ばず(やむを得ない)」と言った、というのは有名な話です。

・・・という。
概要だけ聞いても、何もそんなにせんでも、と言いたくなるくらいの徹底ぶりですな。

まぁ魔王と呼ばれる男を討ち取ろうというのだから徹底的に準備したんだとか、明智光秀の周到な性格からしてこれくらいの準備は当然だとか、見方はいろいろあると思うんですが。

その、管理人がですね、現代の自分の感覚に置き換えた時に。

会社を辞めてやる!と思ったときに、上司のアルハラが直接の原因で辞める、という人はそんなに多くないと思うんですね、アルハラの程度にもよりますけども。

例えばキャリアアップのためとか、会社の未来が不安とか、独立するなら今しかないとか、まぁアルハラ以外のメインの理由が大抵あるもんだと思うんですよ。

で、アルハラが無ければ普通に辞めるハズだったけど、上司のアルハラを恨みに思っていた場合。

いつ辞めてもいいんだけど、あえて繁忙期に辞めてアルハラ上司を困らせてやろうとか、結構重要な案件の引き継ぎをしないで辞めてやろうとか、ただ辞めるんじゃなくてそこに一味足したくなる気がするんですよね。

つまり何が言いたいかというと、本能寺の変の直接の原因はアルハラではないかも知れないけど、あの包囲の徹底ぶりはアルハラが原因なんじゃないか、ってことなんです。

想像ですけど、明智光秀が本能寺の変の計画を立ててる時に、最初兵力は5000人くらいでいいかなと思ってたけど、アルハラのことを思い出し、

「あいつマジ腹立つわ、マジぜってー討ち取ってやんよ、ぜってー討ち取るなら兵力は倍以上いるな!」

と、思った、とか(笑)

アルハラが無ければ、光秀の包囲ももう少しゆるかったんじゃないかな~、なんて思ったりするわけです、管理人は。
まぁ、多少包囲がゆるかったからって信長が逃げられたかどうかは別の話ですけどね。

信長が是非に及ばず、と言ったのも、もちろん明智光秀が優秀な部下で、その光秀が包囲したということは万に一つも自分を討ち漏らすことはないだろう、という意味なんでしょうけど!
俺、アイツのこと酒の席で結構いじめたしな・・・という意味もあったりして(笑)

あくまでも管理人の想像ですが、本能寺の変の直接の原因がアルハラだとは思いませんが、明智光秀の包囲の徹底ぶりの原因はアルハラではないかと。

つまり、本能寺の変から読み取れる教訓としては、部下からアルハラで余計な恨みを買っていると、部下が会社辞めるときに徹底的に叩かれるよ!
辞めるにしたって円満に辞めてほしいでしょう、お酒の席で余計な恨みは買わない方がいいよ!!
というのがあるのではないかと。

全国のお酒好き上司の皆さん、気をつけましょうね(笑)

以上、お酒好きで歴史に関しては素人の、管理人の妄想でした(笑)

まとめ

・織田信長は下戸だという説もあるが、管理人としては酒豪だったと信じたい(笑)
・織田信長から明智光秀へのアルハラは、槍だの脇差だのが出てくるほど物騒なものだった!?
・本能寺の変での明智勢の兵力等、織田信長を討ち取ろうという気概は相当のもの
・直接の原因がアルハラではないにしろ、あの包囲の徹底ぶりにはアルハラの恨みも働いているのではないか?

歴史的な事件も、お酒を絡めてみるとまた見え方が違いますね。
しかしこんなこと書いて、管理人はマジメに研究してる人に怒られないかしら?(笑)

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