日本酒の歴史 神にささげるものだった時代から多種多様な地酒の時代へ
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ルーツを知ると日本酒がおもしろくなる
学校の歴史の授業というと、皆さんはどんな印象でしょうか?
管理人は、個々の出来事は面白いなぁと思って聞いてたんですが、
年号の暗記とかができないとても大雑把な歴史好きでした(笑)
興味のある時代とない時代で全然知識のつき方が違ったりとか、ね。
三国志が好きでも歴史のテストでいい点は取れないんですよ・・・
とはいえ、人間興味があることならいろいろ調べてしまうもの。
歴史の教科書にはほとんど日本酒がどうやって生まれたか、なんて記述はないわけですが(当たり前!?)、
米を原料とする以上、農業が発生したのと同じくらいの時期に日本酒は生まれ、
歴史を重ねてきたはずですよね。
というわけで、今回は日本酒の歴史について書いてみようと思います。
日本酒の歴史:弥生時代
日本酒の原型が生まれたのは、紀元3世紀ごろの弥生時代と言われています。
縄文時代は狩猟型の生活をしていたのが、農耕型に生活が変化することで、
日本酒が誕生することになった、というわけです。
農業や水田の伝来とともに、九州・近畿といった西日本地区から日本酒の製造がはじまりました。
ちなみに、お酒を造るのに発酵を進めるためには、菌類の栄養となる糖質が不可欠。
ところが、日本酒の原料となる米には糖質が含まれていません。
そのため、麹菌を利用して米のでんぷんをブドウ糖にする、という工程が必要になり、
日本酒の作り方は世界でも有数のややこしさを誇るのですが、
麹菌を使う技術なんて弥生時代にはありません。
ではどうやって日本酒を作ったかというと、
「口で噛んで唾液ででんぷんを分解、糖化させ、唾液と混じって糖化した米をつぼの中に吐き溜めて置き、それを空気中の酵母が発酵させて酒を造る」
というやり方だった、とのこと。
なかなか想像するとすさまじいものがありますが(笑)、
これによってできたのはいわゆる「どぶろく」のような、にごりのあるかなり原始的なお酒だったようです。
当時の日本酒は、飲んで楽しむものではなく、神にささげるものでした。
そのため、酒を造るために米を噛む役割は、神聖な巫女、穢れなき処女の役割だったんですね。
・・・いや、別に、飲んでみたいなんて思ってませんけども?
ちなみに「酒を醸(かも)す」という言葉の語源は、この口噛み酒から来た、「噛むす」という言葉である、という説もあるそうですよ。
このにごり酒は徐々に生産量が上がっていき、
上流階級のための貴重品としてじわじわ広がっていきましたが、
現在のような澄んだ透明の「清酒」が登場するのは奈良時代になってからです。
さらに、庶民が普通に飲めるようになるには、ここからさらに1000年の時を必要とします。
うーむ、にごり酒、貴族じゃないと飲めないのか・・・
いや、巫女さんが噛んだ米でできた酒を飲みたいとかじゃないんですけどね!?
日本酒の歴史:奈良時代
政治が中央集権化した奈良時代、政府(当時の朝廷)によって、
「ささげる酒」として酒造りの研究が本格化、技術が発達していくことになります。
その役目は酒造司という役所が担っていたそうです。
ちょうど、当時の中国(周王朝)から麹を使った酒造りが百済を通して伝わり、
口噛みの酒から本格的な醸造の第一歩を歩みだすことになります。
と同時に、日本酒はにごり酒から現在のような澄んだ透明な酒が中心になります。
これが現在の日本酒の原型となっているんですね。
ただし、透明な酒は貴重で、庶民が酔っ払ったりできるほどの生産量はとてもなく、
当時は高カロリーな食材が少なかったこともあり、
栄養補給のための貴重品として、貴族が飲んでいたそうです。
ちなみに、庶民もにごり酒なら少量飲んでいた、という記録も残っているんだとか。
とはいえ、まだまだ貴重品で、基本的には貴族くらいしか飲めないものだったというのは間違いなかったようです。
日本酒の歴史:平安~鎌倉時代
平安時代に入ってくると、政府だけでなく寺院も酒を造るようになり、
生産量が増えて用途にも広がりがみられるようになります。
主な酒の用途は祭り用。
めでたい席には欠かせない、「祝い事の酒」として、消費量が徐々に上がっていきます。
だんだん現代に近づいてきたな~、と思うのはまだ早く、
がぶがぶ飲むのではなく儀礼的なスタイルでたしなむ程度の量しか飲まなかったそうです。
鎌倉時代になると、醸造技術の基本が確立、安定した酒造りの方法が編み出されます。
寺院での生産量が増え、いよいよ流通するものとなり、
日本酒を販売する酒屋もこの時代に生まれたんだとか。
いよいよ庶民の手にも日本酒が手に入る時代がやってきます。
いやー、素晴らしい。
日本酒の歴史:室町~安土桃山時代
この時代になると、大名によって各地が個別に統括されるようになります。
これにより、各地で独自の日本酒が造られるようになります。
寺院や民間での酒造りが広まるにつれて、ローカルブランドの商品として、
「地域の特産酒」つまり地酒が完成していくんですね。
原料も玄米から白米に変わり、
さらに透明感を持った日本酒が、
大きな桶で大量に造られ、
武士から庶民までさまざまな人が飲むようになりました。
ちなみに豊臣秀吉は、花見の席で全国の銘酒を献上させたと言われており、
それだけ地域に根ざした地酒が確立していた、と言えるでしょう。
日本酒の歴史:江戸時代
この時代に、日本酒は一気に庶民にまで広がったと言われています。
地酒の蔵が全国に27,000蔵もあったんだとか。
現在は800蔵くらいですので、一つの蔵での生産量や技術が向上しているとしても、
これはなかなかすごい数なんじゃないでしょうか。
江戸時代の初期までは、
「新酒」「間酒」「寒前酒」「寒酒」「春酒」
と年5回も作っていたそうですが、うまい酒を造る技術が生まれ、
寒い時期に作る酒が一番うまいことから生まれた「寒造り」や、
長期保存のための殺菌方法などの処理方法が発達していきました。
当時の江戸庶民に一番人気があったのが大阪堺から運ばれてきた「灘の酒」。
これにいい水が使われていることがうまさの要因だということが証明され、
いい水で酒を造る、という傾向も生まれていきます。
天下泰平のこの時代、多くの庶民文化が花開きますが、
「庶民の楽しむ酒」に関しても、この時代に開花した、と言えます。
日本酒の歴史:近代
近代国家になるにしたがって、日本酒は税金を集める対象としてその在り方を変化させてきました。
品質とは関係ない部分で一級、二級と分類され、等級が上のものは税金が高かったのです。
技術的にも大きく向上し、酵母を使う技術が確立され、
日本酒の醸造期間が一気に短縮され、
新酒を評価する「鑑評会」によって全国の日本酒が比較され、
技術が競われるようにもなりました。
ただし多くの戦争を行う中で日本酒をつくれない時期もあり、
米不足を補うためかなりの量のアルコールを添加した、
「アル添酒」と呼ばれる日本酒が広がった時期もありました。
第二次世界大戦後、米の生産が増えてもアル添酒は残り、
味わうためというよりも酔うための日本酒が氾濫します。
ここまで発展を重ねてきた日本酒は、技術があってもいいものが造れない、
というジレンマに陥ることになります。
日本酒の歴史:現在
現在では、一級・二級という分類は廃止されています。
これは、税金のための分類、税金のための日本酒からの脱却を意味します。
これにより個性の強い「吟醸酒」「純米酒」等が注目され、地酒ブームが生まれるのです。
淡麗辛口、大吟醸、濃口、旨口、発泡酒等々個性豊かな日本酒が生まれ、
インターネット時代も手伝って、
地元民しか飲めなかったような貴重な日本酒も手の届く状態になっています。
神様にささげるものだったところから、
醸造の技術があがり、
庶民の口に入るようになり、
戦争により技術があってもいいものが造れない、という状態に陥るものの、
税金のための日本酒というところから解放され、
もともと上がっていた技術により個性豊かな日本酒が花開いているのが現在です。
いい時代に生まれた幸せを味わわないと、もったいないってもんでしょう!
まとめ
・もともとは、神にささげるため、口噛みによってつくられた、にごり酒が日本における酒でした
・清酒になっても、しばらく日本酒は貴族の飲み物でした
・醸造の技術があがり、日本酒は庶民の口にも入るようになりました
・戦争により一時的に日本酒の品質は落ちるものの、今再び個性的な日本酒が咲き乱れております!
いやー、なんか、ホントに、いい時代に生まれたんだな、と思いますねぇ(笑)
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