高村光太郎、彫刻家・詩人にして、ビールの似合う男!!
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ビールの味
彫刻家・詩人として有名な高村光太郎。作品としては
「道程」
「智恵子抄」
が有名ですが、お酒もずいぶん好きだったようで(笑)
ホーム・ライフ誌という雑誌に、「ビールの味」というそのものズバリな随筆を残しています。
「ビールの新鮮なものになるとまったくうまい。
麦の芳香がひどく洗練された微妙な仕方で匂って来る。
どこか野性的でありながらまたひどくイキだ。
さらさらしていてその癖人なつこい。
一杯ぐっとのむとそれが食道を通るころ、ちょうどヨットの白い帆を見たときのやうな、
いつでも初めて気のついたやうな、ちょっと驚きに似た快味をおぼえる。
麦の芳香がその時臭覚の後からぱあっと来てすぐ消える。
すぐ消えるところが不可言の妙味だ。
ぐっと飲むといふのがいはゆる呼吸もつかずに飲むことになる。
そこに味の生理的機械的理由がありさうだ。
人がさうやって飲んでいるのを見ただけでもビールらしい一種特別の快さを感じる。
二杯目からはビールの軽やかな肌の触感、
アクロバチックな挨拶のやうなもの、
人のいいつむじ風のやうなおきゃんなものを感じる」
・・・あぁ、ビール飲みたい(笑)
ビールの喉ごしの爽快さを描いているのでしょうか、
自分がぐっと飲んだときの感覚を繊細な感覚で捉えています。
さらには自分がぐっと飲んだときだけでなく、
他人が飲んでいるのを見たときですら快さを感じる、というあの感覚・・・
あぁ~、ビール飲みたい!(笑)
高村光太郎は自他ともに認めるお酒好き。
さらに20代のころにニューヨークに1年、ロンドンに1年、パリに9ヶ月と留学し、
そこでビールの味を覚えたのではないかと言われています。
「ロンドンでバスといふビールのひどくうまかつたことを記憶している」
という記述が随筆の中にも残っていますし。
お酒に関する作品
だから・・・というわけでもないのでしょうが、
ビアホールや、日本酒の宣伝用コピーを書いたりもしていたんですね。
ビアホールの宣伝用コピー
→「白髪三千丈ビールによつてかくの如く美し」
白髪三千丈とは、年老いて人生の憂いを嘆くことばで、
「積もる憂いに伸びた白髪は三千丈(約9km)にも感じる」という意味。
このコピーは、憂いの象徴でしかないはずの白髪が、
ビールを飲むことでこうも美しく感じるとは、といったところでしょうか。
ビール飲んだらなんでもOK。ビール飲んだらなんでも楽しくなっちゃう。
・・・という、ビール好きの心理を見事に言い当てている気もしますね(笑)
日本酒の宣伝用コピー
「大酒はもとより大毒。のまずにすむなら酒はのまぬが善。
もしのむなら 安くて悪い酒は禁物。
高くても良い酒は結構なれど、安くても良い酒は尚お結構でございます。
岩代の田舎酒 この花霞は どんなに信用されてもよいほど醇良で 価もまず安い方。
風味は人のすきずきながら
古雅で精妙で灘とは又違って趣が深いという評判でございます。
高くてわるい酒に悩まされている方には このお酒をおすすめいたします。
花霞分譲会
一合二十銭 一升二円」
こちらはうって変わって、理路整然とお酒を進めるコピーですね。
飲まずに済むなら酒は飲まぬが善、とかって言いきっちゃうあたり、ホントに酒好きだな、この人は、という感じがします(笑)
分かってるんだよ、飲まなきゃ飲まない方がいいに決まってるんだから。分かってるんだ、そんなことは、全ての酒飲みが(笑)
その他にも、「食後の酒」という詩を書いていたり、
有名な「智恵子抄」という詩集にも「梅酒」という詩があったり(ただしこれは亡くなった奥さんを想う詩なので、他のお酒関連の詩や随筆とは趣が違うかも)と、
お酒に関する著作が色々ある高村光太郎。
そんな中で、このビールの味という随筆も執筆されているんですね。
いろんなお酒が好きな中で、ビールがかなり好きだったというのは間違いないんじゃないでしょうか。
明治あたりの文人と、ビールのイメージが・・・
ここで管理人の勝手なイメージが入るのですが、
このころの偉大な文人とか芸術家って、割と暗いイメージというか・・・自殺しちゃう人も多いですし。
高村光太郎も、自殺こそしないものの、奥さんの智恵子との死別や、
真珠湾攻撃を称賛することから始まる戦争協力詩の執筆への後悔から、
戦後7年間粗末な小屋で独居生活を送るなど、いろいろ苦悩があったのは間違いないと思われます。
それに対してビール好きというのは、ライト感覚の持ち主で、
「とにかくビールを飲んで、楽しくわーっとやろうよ」という人が多い・・・
ビール好きの性格について詳しくはこちらから。
→あの人は脈あり?脈なし?恋愛に使えるお酒の席の心理学
もちろん苦悩があったといっても年がら年中苦悩していたわけじゃないでしょうし、
逆に現代のビール好きに一切苦悩がないかと言えばそんなことはない。
ビール好きな管理人にだって苦悩はあるんですよ!一応(笑)
ただ、明治・大正・昭和あたりの芸術家のイメージと、
ビールのイメージが結びつかない、というのもなんとなくあるんですよねぇ。
まぁ、ビールが日本で本格的に流通し始めるのが明治20年ごろの話。
ビールの歴史について詳細はこちらから
→ビールについての基礎知識。歴史、原料、造り方
ということは最先端のものに敏感な芸術家が飲んでいた、
という可能性もあるのかな・・・
と、無理やり思っていたのですが、高村光太郎に関しては圧倒的にビールが似合うイメージでした(笑)
なぜ管理人がそう思ったか、ちょっとそのきっかけとなったエピソードをご紹介してみたいと思います。
高村光太郎留学中のエピソード
それは高村光太郎ニューヨーク留学中のエピソードです。
アメリカン・アート・ステューデント・リーグという学校に通っていた高村光太郎は、
その時のクラスメイトからちょっとしたイタズラをされていました。
それは作りかけの彫刻の粘土の腕を逆につけたり、
首が逆になっていたりといったものだったようです。
まぁしょうもないと言えばしょうもないんですが、
高村光太郎はクラスの中で犯人とおぼしきヤツを見つけ問いただし、
とうとう犯人であることを白状させます。
すると、他のクラスメイトが教室内の作業台を全部はじに寄せ、
真ん中に広場を作ってお前ら二人で勝負しろ、とはやし立てます。
で、アメリカ人はボクシング、高村光太郎は柔道で勝負する、ということになった。
実はこの頃、講道館四天王の一人山下義韶が、
ワシントンでジョージ・グラントというレスラーに抑え込みで勝利したり(山下162cm 68kgに対し、ジョージ200㎝ 160kg。スゴイ体格差!!)、
ブラジリアン柔術の祖、コンデ・コマこと前田光世がアメリカ各地でボクサーやレスラーを次々と倒していたんですね。
要は日本人は柔道というなんだかすごい技を使うらしい、
タック(高村光太郎の愛称)も日本人だから柔道を使うだろう、
だったら勝負してみろ!というわけ。雑な認識だなぁ(笑)
勝負が始まると、高村光太郎の手がちょっと触れるだけで、
相手のアメリカ人はビビって腰が引けたそうです。
当時、柔道というものがアメリカで相当恐れられていたんでしょうねぇ。
で、引っ張ったり突き飛ばしたりしてるうちに、
最終的には絞め技でアメリカ人に勝っちゃったんだとか。
それ以降はイタズラもやんだそうです。
この部分だけ聞いても、高村光太郎がビールの似合う体育会系だということがうかがい知れるのではないでしょうか(笑)
高村光太郎、実は柔道ほとんどやったことが無い!?
当時のアメリカ人が柔道という得体の知れない格闘技にビビりまくっていた・・・ということを差っ引いても、
アメリカ人と日本人の体格差を考えれば高村光太郎、結構な柔道の達人だったのでは、と思いますよね?
ところが、実は柔道ほとんどやったことがなかったそうです(笑)
高村光太郎、彫刻家・詩人のイメージとは裏腹にかなりの大男だったんだとか。
身長191㎝、足のサイズが29㎝・・・って、現代でもずいぶんな大男だな!!
日露戦争時の徴兵基準が5尺=151.5㎝。
・・・だったのが、兵員が集まらずに基準を150㎝に下げた、という話があります。
つまりは当時の平均身長がそれくらいだったということでしょう。
その時代に191㎝、多分アメリカでもずいぶんでかい方だったんじゃないですかねぇ。
その体格に加えて、当時「サンドウ体操」というものに凝っていたという高村光太郎。
このサンドウ体操、ラジオ体操のような健康体操だと思ったら大きな間違い。
「近代ボディビルの父」と呼ばれるユージン・サンドウが考案した、
筋肉を鍛えるためのダンベル体操が、サンドウ体操なんですね。
身長191㎝、足のサイズ29㎝、おまけにボディビルダー考案の体操をして体を鍛えていたって、もうゴリゴリの体育会系じゃないか!!
勝負したアメリカ人の体格までは分かりませんが、
191㎝より10㎝も20㎝も身長高かった、ってことはないでしょう。
せいぜい同じくらいの体格か、ヘタしたらちょっと小さいくらいじゃないの?
柔道にビビりまくってるアメリカ人(レスリング経験あり)と、
サンドウ体操で筋肉鍛えまくった日本人、
しかも体格が一緒(くらいだと思う)。となれば、そりゃ高村光太郎が勝ちますわな(笑)
身長といい、サンドウ体操といい、アメリカ人と勝負して勝ったというエピソードといい、彫刻家、詩人らしからぬ体育会系な逸話を持つ高村光太郎。
こりゃ、豪快なビール好きなのは間違いないな、と思います(笑)
少なくとも留学中は、「日本で一番ビールが似合う芸術家」だったと言えるのではないでしょうか!!
まとめ
・「ビールの味」をはじめとして、高村光太郎はたくさんのお酒が出てくる作品を残しています
・とは言え、明治あたりの芸術家にはビールが似合わない気も・・・
・留学中にアメリカ人と勝負して勝ったり、ダンベル体操をしていたりと実は体育会系な高村光太郎
・身長191㎝という体格も相まって、日本一ビールの似合う芸術家と言えるのではないでしょうか(笑)
こんな体格なら、相当ビール飲んだだろうなぁ~。
そんな大男に、イタズラを仕掛けていたクラスメイトにもビックリしますけどね(笑)管理人なら、ビビって大男にイタズラなんかできないけどなぁ(笑)
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